■若手3社長座談会

日 時:2011年10月15日(土)
場 所:武蔵大学 学長室
出席者:株式会社ブリンガ 代表取締役中川富士子 氏(30回欧米)
マクラーレンジャパン株式会社 代表取締役社長大石 研治 氏(36回経営)
株式会社三宝 代表取締役田中 由美 氏(37回欧米)
武蔵大学学長清水  敦 氏
武蔵大学同窓会長井上 隆裕 氏(14回経営)
司会:武蔵大学同窓会理事・会報委員広瀬 壮二郎(28回経営)

3社長座談会シリーズ第2段として、今号では若手バリバリの3人のOB・OGにご登場頂きます。上場会社役員の座をかなぐり捨て起業した方、お父様の跡を継ぎ女社長として会社を大きく変えた方、そしてスーパーウーマンと呼ばれたモーレツ社長、同窓生だから言える本音話をとくとお聞き下さい。

司会:今回ご登場頂くのは小粒ながらも一国一城の主として、将来の大企業を目指す若手3社長です。先ずは、どんな会社なのかご紹介頂けますか?

中川 教育研修や人材派遣そしてキャリア支援・採用代行が三本柱です。特にネットワーク技術を軸としたIT分野を得意としています。
大石 私の会社は英国のストローラー(ベビーカー)ブランドの日本法人です。日本では長く国内2社の独占状態が続いていましたが、現在では3大ブランドの一つとして、大手2社と競合しています。
田中 山梨にあるジュエリー会社を経営しています。製造から販売まで手掛けており、テレビショッピングの商品提供や新合金の開発にも力を入れています。
司会 さて、中川さんが起業されたきっかけをお聞かせ下さい。
中川 私は卒業後、IT企業に就職しました。銀行のATMも手掛ける大手でしたが、配属される時に希望を聞かれたので、「一番きつい部署がいい」とお願いしました。お蔭様で望みは叶えてもらいましたが、それこそ夜もなく昼もなく働きましたし、海外出張にも結構出かけました。ある人から「あなたってマグロね」と言われたんですが、最初は意味がわからなくて…要はマグロはずっと泳いでいないと死んでしまうそうですね。
だから私はマグロだと…
司会 そのモーレツ社員から社長になられたわけですね。
中川 忙しいとはいえ結婚して子供も出来ましたが、妻と母親業を両立させながら長期海外出張や深夜まで会社にいる生活が続き、これではまずいと思ったので、保険会社に転職しました。そこで営業の面白さを経験することになりました。新規開拓で色々な方々に出会い、企業に多くのドラマがあることを知りました。その後、上場したITベンチャーに転職して出会った技術者と意気投合し「きちんと人を育てキャリアアップさせる会を作ろう」と考え、一ヶ月で立ち上げたのが今の会社です。中小企業の面白さを目の当たりにし、これはもう自分でやるしかないと…
司会 田中さんはお父様の会社を継いだとは言え、業態も随分と手を加え、まさに起業と同様だったとお伺いしていますが…
田中 そうなんです。それまでは従業員として決められた事をこなす毎日だったんですが、父から一旦叔父が引き継ぎ、結局私のところに経営者の椅子が回ってきたんです。でもやるからには新しいこと、過去からの脱却が大きなテーマでした。
司会 いきなり部下が上司いや社長になったという訳ですね。随分軋轢があったのではないですか?
田中 それはもう大変でした。ベテラン社員も沢山いましたし…勿論、教わる部分も一杯ありましたが、長年同じことをやっている人に新しいことをやってもらうのには本当に苦労しました。
司会 田中さんの会社の記事を私も日経新聞等で目にしましたが、随分斬新なことをやってらっしゃいますよね。
田中 ええ、ピンキーリングコレクションの分野では世界一と言われている他、バイヤーさんを招待しての工場見学など色々と挑戦しています。
司会 田中さんはご卒業後すぐにお父様の会社に入られたのですか?
田中 いいえ、自分としてはインポートやファッションといった海外と関わる仕事をしたいと思っていたんです。旅行ではなく海外で暮らしたいという思いも強かったので、まずは資金を貯めて2年間イタリアに行くことにしました。そもそも父の会社に入るなんて思ってもいなかったのですが、親を説得する為に「ジュエリーの勉強がしたい」と言ってイタリア行きの許可をもらいました。結果的にこの2年間は今の仕事に大いに役立つことになりました。
司会 大石さんは一部上場の医療ベッドのトップ企業で執行役員をおやりになっていらしたんですよね。
大石 はい。コンシューマー事業の責任者として、「健康?未病」の方々の睡眠を改善する事を目標に、新しいブランドを立ち上げました。立ち上げたブランドは育ててゆく必要がありますが、方向性やスピード感に、会社と一致しない部分があり、話し合いの上、別の道を歩む事としました。「睡眠」の分野は、ビジネスとしても可能性が高いと考えていたので、同じフィールドで次の仕事を始める準備をしていたところ、べッドメーカーの前の、商社時代に立ち上げたMaclarenから帰って来いという強い要請があり、それを受ける形で起業しました。
司会 思い切った決断ですね。普通、前職のような安定した地位にあれば、そのまま偉くなった方が幸せかと思いますが…
大石 ええ。待遇も本当に良くて、もったいないかな、という気持ちもありました。
私達が卒業した1988年はバブルの真只中、何れは社長になりたいとか海外に行きたいとか、そんな若者が多かったように思います。私もビジネスの全体を学び、海外勤務もしたいと思い、中堅の商社を就職先に選びました。そして「ビジネスの全てがある」と感じた「新規事業開発」をテーマに、とにかく働きました。結果として、ビジネスを幅広く実地に学び、興味ある分野に拘って社内転職もし、ニューヨーク勤務も経験出来た。何より毎日が充実していた。自分がやりたい事を、常に明確にしてきて良かったと思っているので、決断した後に後悔する事はありませんでした。