■”ちょんまげ隊” 角田寛和さん(34回経営)

 

 ちょんまげ隊とは、サッカー日本代表のサポーターである。バカ殿のちょんまげを被り、手作りの甲冑を身にまとい、代表戦があれば世界中どこへでも応援に駆け付ける。


  活動はサッカーだけに留まらず、震災後は、ちょんまげ支援隊として継続的に支援活動も行い、震災以来、計35回も東北に足を運んでいる。東北の子供達をベガルタ仙台の試合に大型バスで連れて行ったり、ヨガの先生を連れてヨガ教室を開いたりと、様々な角度から支援を行っている。

■なぜ、ちょんまげなのか?

 私は武蔵大学時代、野球の阪神タイガースを応援していた。その理由は「ひねくれていて、周りが巨人や西武を応援していたから」という天邪鬼な考え方だった。日本代表を追いかけて世界中を飛び回るのも同じような理由だった。ドーハの悲劇に感銘を受け、サッカーに興味を持ち始めると「皆が海外に行かないなら、僕が行こう」と思うようになった。
 世界中を回っていると、オランダの70歳くらいのおじいさんが「全身オレンジで、しかもチューリップの帽子を被ったり」しているのを見て「海外のサポーターは自国のアイデンティティを表現している」ことに衝撃を受けた。
 そこで、「日本のアイデンティティってなんだろう」と考えた時、「サムライだな」と思い「僕はドリフ世代なのでバカ殿のちょんまげがいい」というのが、ちょんまげを被るキッカケだった。

■支援をするようになったキッカケ

 そんな私も普段は千葉県松戸市で靴屋を経営し、一人の娘を持つ父だ。以前からボランティアなどを行ってきたのかというと、正直、今までは募金くらいしかしたことはなかった。言い方は悪いが、ボランティアとは、そういうのが好きな人がやるものだと思っていた。
 ところが、今回の震災直後にツイッターで運動靴とか靴下などが圧倒的に足りてないことを知って「僕はたまたま靴屋だったので、これは運動靴を持っていくしかない」と思い、現地に赴いたのが最初であった。

■被災地でもあえてちょんまげ

 初めて被災地に向かう際、私はちょんまげを被っていくか迷っていた。しかし「ピンチの時こそ笑い」だと考え、ちょんまげを被って行った。当時は、震災直後ということもあり「不謹慎」という言葉が蔓延していて、ちょんまげを被って被災地に行くことに対して批判も多かった。
 だが、実際にはちょんまげは子供達の注目の的となり「ちょんまげだ」と子供達が喜んで集まってくれた。子供だけでなく、大人もちょんまげを見て「また、来てくれたんですね」と、いわばちょんまげはトレードマークとなっていったのである。

■組織を作らない支援活動

 普通、学生など個人で支援活動をしたいと思ったら、NPO団体など何か組織の下に入るのが一般的な考えだろう。しかし、私は組織を作らない。ツイッターやフェイスブックなどで参加者を募り、行きたいと思った人だけを連れて行くのである。
 「お前、ちょんまげ隊なんだから来いよ」などと強制することは一切ない。もちろん、参加者がちょんまげ隊である必要もない。誰でも参加できるのである。 毎回、支援の形は様々だが、行きたいと思った人だけを連れて行くことで「参加者は全員、同じ方向を向いている」ことがメリットとなっている。

■被災地報告会は海外でも

 私は、少しでも多くの人を被災地に近づけたいという思いから、「被災地報告会」として全国各地で支援活動の様子や被災地の現状を伝えている。その数、なんと約100回近くは行ってきた。
 しかも、その半分の50回は海外で行っている。海外に住んでいる日本人の方達には、なかなか被災地の情報は伝わっていかない。海外で被災地報告会を行うことは、そういった人達に被災地の現状を伝え、支援の輪が世界規模で広がっていくことで意味がある。
 未曾有の災害から約2年。被災地への関心は日に日に減ってきている。しかし、私のちょんまげ支援隊は2年経った今だからこそ、さらに加速していく。そのためにも皆さんのチカラを貸してくださいと、訴えたい。是非、皆さんも私と東北に足を運んでいただきたい。