■ごっつい大物!「鳥商の安井さん」
  (39回経済)

『武蔵大学といえば、鳥商の安井さんの出身校ですなぁ?』
『安井さんをご存知ですか?』
『安井宏樹さんは、甲子園に出る前にうちの号外に何度も出場された方ですけぇ』。

 日本海新聞社の仕事で記者に挨拶をした際、思いがけず、安井さんのお名前を耳にした。鳥取県で80%のシェアを誇る新聞社の号外に載り、フルネームで記憶される「鳥商の安井さん」…ごっつい大物である。「ごっつい」とは鳥取弁でとても、という意味。
 10月28日、念願叶って取材に伺う。待ち合わせは安井さんの教え子の店。出迎えてくださった安井さんのスーツ姿に目を見張る。飛び抜けてお洒落な人、であった。
 『いつもは家族全員、ジャージでいらっしゃいます』…と、教え子店長がひと言。成長した教え子と話す安井さんの嬉しそうな笑顔が温かい。
 初対面であることも忘れて、するりと安井ワールドに惹き込まれてしまった。

■ごっつい元気!「武蔵の安井くん」

 安井さんは、経済学部出身。野球部所属、体連本部役員として活躍された。
『鳥取まで自転車で帰省するような学生でした。体連本部で四大戦推進局長として高松宮家に挨拶に伺ったり、水曜会委員長として朝霞のウェイト場にトレーニング器具を要求したり…。武蔵には懐かしい思い出がたくさんあります』

■黒澤先生との思い出

 安井さんの故郷は鳥取県の用瀬(もちがせ)。山頭火が訪れたという古い町の碑には「江戸まで170里」と刻まれている。『黒澤先生に鳥取までいらしていただいて感激しました』 東京から700km以上。
 用瀬中学校の安井さんの教育実習で授業を参観した黒澤先生は『彼はいい先生になる』と確信したと云う。そして、期待通り、安井さんは型破りな強力打線を発揮。鳥取県を背負う教員へと成長した。

■韓国へのホームラン

  1999年、安井さんは鳥取県教育委員会と姉妹交流を持つ韓国、江原道(こうげんどう)に赴任。延世大学で韓国語を学び、春川女子高校で日本語を教えた。
 異国でのハードな生活の心の支えはやはり野球。気がつくと延世大学や春川高校の野球部の練習を見学していた。そして、2000年、帰国した安井さんは鳥取商業高校の野球部監督に就任。甲子園への道を開く戦いに挑むこととなる。

■2004年、甲子園へ

 第86回全国高校野球選手権鳥取大会の決勝速報が号外で配られると、その見出しに誰もが驚いた。『鳥取商業 悲願の甲子園』。安井監督率いる鳥取商の野球部が甲子園初出場を決めた。
 甲子園の話より先にその日の試合の様子を安井さんは昨日のことのように熱く語った。『甲子園に出た、ということより、どういう試合をしたか、どういう練習をしてきたか、ということの方が大事』と、話す安井さんにとって、県大会決勝は生涯忘れられない思い出の試合だった。

■母校、恩師との対戦

 1985年、安井さんは鳥取西高野球部の選手として甲子園の土を踏んでいる。2004年、甲子園をかけた決勝の対戦相手は皮肉にも母校の鳥取西高。ベンチには当時の恩師が監督として座っている。走攻守の総合力を誇り、甲子園出場回数20回を超える西高野球部vs無名のダーク・ホース鳥商。
 誰もが西高の優勝を予想していた。恩師を前に複雑な心境ながらベストを尽くすことが一番の恩返し。安井監督に迷いはなかった。
 結果、9-2の大差で鳥商の圧勝。甲子園初出場の夢が実現した。

■安井監督が育てたもの

 甲子園目前の8月1日。安井さんは最愛のお母様を亡くされた。さらに大会前日、教え子も亡くした。毅然として甲子園に立った安井監督は甲子園の空に何を思っただろう…。
 選手たちはその日、1万9千人の大観衆を見上げ、『あぁ、自分は今、甲子園にいるんだ』と思ったと云う。苦戦途中、伝令の生徒は選手たちに呼びかけた。 『暗いけぇ、笑っていこうで』 …安井さんは本当によい生徒を育てている。
 7年後の2011年、鳥商野球部は再び甲子園へ…。アルプス・スタンドに、現役当時のユニフオームを着て、新聞記者からインタビューを受ける25歳の社会人OBの姿があった。甲子園初出場で無得点で負けた悔しさから、卒業後、後輩の指導を続けたという当時の主将は紛れもなく安井さんの教え子である。延長11回、2-3の大接戦で負けたが、『甲子園での1点を7年待った』と、笑顔。記事に残る言葉は安井監督の姿勢そのものだ。
 7年前、安井監督が哀しみに負けず、甲子園に立ったことの意味、育てたものの大きさを感じ、胸が熱くなった。

■野球少年の夢

 「教員になって甲子園に行こうなんて考えたこともない」と、安井さんは長年思っていた。鳥商の監督として甲子園に出た後、中学の友人から「夢が叶ってよかったな」と言われ、不思議に思った安井さんは中学の文集を読み返して驚いた。野球少年、安井宏樹くんの将来の夢はなんと『教員になって甲子園に行きたい!』…であった。

■親子で鳥商、武蔵!

 『いやぁ、息子というより教え子ですから…』 安井さんの息子さんが鳥商野球部の教え子、と聞いて驚いた。しかも、卒業後は武蔵大学経済学部金融学科に入学し、現在3年生、部活はもちろん野球部…。思い切り『武蔵な親子』なのである。

■武蔵に望むこと

 武蔵のOB、現役保護者として、安井さんはどんな思いで武蔵を見ているのだろう。『武蔵はアドバンテージを持つ大学。学生には誇りと達成感を持ってほしい。大学には学生を頑張らせる体制を整えてほしい。
 学生時代は人間として多感な時期。スポーツを教えていれば大丈夫とか武蔵の子だから大丈夫、というのではなく危機管理意識を持って接したい』と、思いを語ってくださった。

■進め、鳥商デパート!

 安井さんは、今年、野球部監督を引退し、「鳥商デパート」という行事に挑戦。商品仕入れ、販売、会計等、全て生徒が担い、体育館をまるごとデパートにする。イベントの成功は、将来、鳥取や日本の経済を担う生徒たちを育てること、と安井先生は今日も頑張っている。

 ★取材を終えて★
 切れ目ない強力長打の如く…。安井宏樹さんという人間の器の大きさ、強さに圧倒される取材となりました。 心から感謝し、お礼を申し上げます。

(取材と文、橋 佳里子32回欧米)