雪ノ浦 章氏 (27回経営)
尚子さん (27回経営)
一緒にいれば、楽しみは倍に、つらいことは半分に…

 「雪ノ浦 章」氏、芸名?いや本名である。
 ただ学生時代はアメリカンフットボールのクオーターバックとしてスター性があったことは事実だ。だから、「雪ノ浦が、コンビニをやるんだってよ」と聞いたとき、「どうして、また…??」と驚いたものの、盛岡は遠く年月は流れた。

2つの『セブンイレブン』

 雪ノ浦章、尚子さん夫妻は2008年2月、岩手県花巻市に「セブンイレブン花巻本館3丁目店」をオープンした。本当は章さんの出身地・盛岡での出店を希望していたが、セブンイレブン本部の出店計画がなく花巻で始めることとなった。
 その後、いくつかの条件をクリアし、2011年11月、盛岡市に2店舗目をオープンしたのである。その間に会社を設立。「一日一つでも善いことを、一日一歩でも前へ進もう」という意味を込めて社名を株式会社『いちぜん』とした。いつも前向きで誠実な二人の人柄そのものの命名である。
 一学年下で入学以来彼らのことをよく知る私には、よくわかる。現在、お二人は盛岡市三ツ割にご自宅を構え、章さんは「花巻本館店」まで夏は1時間、冬は1時間半かけて車で通い、尚子さんは自宅近くの「盛岡緑が丘店」を守っており、遠く離れた二つのコンビニ経営を見事に両立させている。

運命か…

 1975年4月、お二人は共に経済学部経営学科入学、語学のクラス、教養ゼミ、さらに部活まで一緒。学生時代後半にはアパートまで偶然近くで過ごすことになる。意図的に選んだのでないということだから、これは、もう運命か…
  冒頭に紹介した通り、章さんは在学中、発足間もないクラブで3代目のクオーターバックとして活躍した。大柄ではない身体を頭脳で補ったのだ。村田晴夫先生のゼミに所属し、所謂遊興としての「遊び」ではない、物事の「あそび」について勉強したそうだ。「ハンドルのあそび」という時のそれだ。一方、尚子さんは青森県むつ市出身。章さんと同じくアメリカンフットボール部に入部、マネージャーとして部を支えた。同学年の部員が少なく苦労されたようだ。ゼミは岩田龍子先生で日本的経営を勉強された。
  卒業する前に結婚を決めていたので、尚子さんは青森のご実家に帰り、お父様のお知り合いの靴店に勤めながら花嫁修行をしていた。章さんは、地元盛岡での就職を希望し、役所か銀行かと迷ったうえ、1979年春、北日本相互銀行(現・北日本銀行)に入行、陸前高田支店に赴任することになった。そして、翌年に結婚、二人での生活が始まったのである。
  章さんは、銀行員として一生懸命働いた。陸前高田支店に2年半(東日本大震災の時、すでにコンビニを始めていた章さんは、おにぎりや飲料などを車に積んでは何度も現地に足を運んだそうだ)、その後、岩手県中小企業振興公社に出向、渋谷支店、第二地方銀行協会出向を経て、盛岡に戻り、本部総合企画部、営業推進部と順調に勤務していた。尚子さんはその間、転勤でどこに行ってもできる仕事をと考えて、通信教育で医療事務を学び、病院などで働いていた。
 章さんの転勤に伴い東京に来た時には、ニチイ学館本社でメディカルサポート事業本部課長補佐を務めるなど、キャリアウーマンとして活躍した。盛岡に帰ってからもニチイ学館での仕事を続け、キャリアコンサルタントの資格も取った。二人とも、それぞれの会社で重要なポジションを任され、いろいろな方とお会いしたり、仕事を通じてさまざまな経験を積んでいったわけである。そして、これらのことは、今、コンビニでの仕事に大いに役立っているとおっしゃていた。
  ところで、尚子さんは学生時代、流通業に興味を抱き、都内の百貨店に就職しようかと考えたことがあったそうだ。36年前、大学を卒業したばかりの尚子さんに、当時、地元商店会の事務長をやっていたお父様が「これからはこういったものが主流になってくるぞ」と言いながら、プレゼントしてくれた本が、セブンイレブンの創業者の本だったそうだ、これもまた、運命にちがいない!

やっぱり大変!!

 「なぜ、銀行員からコンビニ経営へ?」の問いに、東北男子は多くを語らない。ただ、章さん50歳で銀行を辞めた時、実はコンビニをやろうと考えてはいなかったと言う。それこそいろいろ考え、第二の仕事を模索していくうちに「セブンイレブンの経営をやってみよう!」と思ったのではないか? 私の問いに、「うーん……」長い沈黙があり、「まっ、いいじゃない」。その沈黙の中に、深い、重い、さまざまなものがあったのであろう。
 「今、二人で一緒にできることをやって、良かったよ」と、明るい声が返ってきた。尚子さんは、この仕事を始める際に、長年商売をやっているおじさまから「何でも面白がってやれよ」と言われたそうだ。いろいろな事が思うようにいかなくて大変だったり、忙しくて食事をする時間がなかったり、トラブルが次々と起こって目が回りそうな時もある。大変なことは言うまでもないが、「面白がる」という「心の遊び」があれば、それほど辛くないとおっしゃる。そして、夫婦で一緒にやっているので、「楽しみは倍になり、つらいことは半分になりますよ!」と、なんと素晴らしい、素敵なひとことだろう。
 コンビニは変化対応業である。日々変化する世の中やお客様の要望を敏感に感じ取り、変化に対応していかなくてはならず、1年間で店舗の半分の商品が入れ替わるという。どんな商品が流行っているのか、いつもアンテナを張っていなくてはならない。現在、2店舗で社員7人、パート、アルバイトを合わせると20数人。先日は、アルバイトに来ていた大学生が卒業の挨拶に来てくれ、うれしかったとおっしゃっていた。しかしながら、章さんはお休みもなく、毎日勤務しているとのことで、尚子さんも夫の健康を心配なさっている。
 でも尚子さんはそんな素振りも見せずいつも笑顔で夫を見送り、章さんもまた優しい顔で妻を見つめる。お互いに尊敬し合っていることが垣間見られる仲の良いご夫婦だ。彼らはこれからの超高齢社会で、地域の皆さんに喜んでいただける、使っていただける店になれるように、お客様のご自宅や職場への配達サービスに、今、力を入れて取り組んでいるそうだ。彼らの掲げる目標地点は、まだ先のようだ。

『南国食堂・ピッカペッカ』の遠藤さん

 「武蔵な日本地図U」作成の時にご協力いただいた『南国食堂・ピッカペッカ』の遠藤さん。盛岡武蔵会の楽しそうな開催報告を読むにつけ是非行ってみたいと、雪ノ浦夫妻に無理を言い案内していただいた。遠藤至明さん(24M)は思っていた通り楽しくて素敵な方、しかもお料理はアジアン風でどれも美味しく、お人柄のせいか(?)若い女性が次から次へと訪れるお店であった。その遠藤さん卒業後は旅行会社に勤務された。添乗業務ではなく営業職であったが、忙しい時には、羽田空港にいて、お客様の送り迎えを朝から晩までやっていたそうだ。携帯電話のない時代、ずらりと並んだ公衆電話の右から2台目にかかってきた電話は会社からの連絡だったりといった、今では考えられないお話をうかがった。そんな経験からのアジアンティストなお店なのかも…。盛岡に行くことがあったら、ぜひ、お訪ねになってください。 ふるさとの大きな空に夢も大きくはばたく

 これからも、大変なことが続くだろう。
 それでも、きっと二人はお互いを気遣いながら、楽しく仕事を続けていくのだろう。前日まで春近しと思わせる陽気だったというのに、私が盛岡を訪ねた日は雪が舞い、「盛岡じゃじゃ麺」をご馳走になった夜には吹雪となってしまった。
 10センチの積雪になり、雄大な岩手山は、残念ながら見ることができなかった。盛岡の冬の厳しさを知らしめてくれたのだろうか。雪ノ浦夫妻に幸多かれと祈り、岩手山を背に、新幹線に乗った。

(取材と文:白鳥 優子、26回経営)