■集合!熱血社長・炸裂する武蔵パワー
― 社長座談会シリーズ 第4弾 ―

 社長座談会シリーズもいよいよ4回目。今回は 40代50代、脂の乗り切ったバリバリ社長御三方にお集まり頂き、その熱い胸の内を語って頂きました。

<ご協力頂いたOB・OGの方々>
スガツネ工業株式会社 代表取締役社長
菅佐原 純氏(33回経営)
有限会社ギルド・エム 代表取締役
藤本 城春氏(40回経済)
いちごグループホールディングス株式会社 代表取締役社長
長谷川 拓磨氏(42回経済)
以下敬称略

 

(司会)
先ずはどんな会社なのか教えて頂けますか?

 (菅佐原)
 1930年に祖父が創業した建築・家具・産業用機器等に使われる機能・装飾金物の総合メーカーです。扉に使われる蝶番や、机の引き出しをスムーズに動かすスライドレール、円滑な移動をするためのキャスターなど、皆さんの身近にも沢山あります。トイレの蓋がゆっくり降りたり、二つ折り携帯電話のヒンジの技術も当社が開発したものです。その分野では当初市場を独占していました。
 会社全体で特許などの知的財産の述べ取得数は3〜4000件に上ります。市場規模が大きい業界ではありませんが、先進性と挑戦心を持ったリーディングカンパニーであることを自負しています。

 (長谷川)
 J-REITの運用等アセットマネジメントを中心に、不動産再生事業、メガソーラー事業を3つの柱にしています。現在JASDAQに上場していますが2016年2月期迄に東証一部へ市場替えすること(2015年11.17東証一部上場)を目指しています。

 (藤本)
 大手印刷会社の協力会社としてカタログやチラシといった商業印刷物、企業の会報や会員誌などの企画・取材・写真撮影そして校正を主にやっています。文字校正の分野では小さいながらも業界でのトップグループにあると自負しています。
 余談ながらスガツネ工業さんの分厚い商品カタログを大手印刷会社さんと手がけさせて頂いたこともあります。ご縁ですね。

(司会)
 手許の資料を拝見すると、皆さんご卒業後、菅佐原社長は日本光電工業に藤本社長は大和證券、長谷川社長はフジタという、学生も羨む一流企業にご就職されていますが、今の会社に入社、そして社長になられた経緯をお教え願えますか?

 (菅佐原)
 日本光電はいい会社ですし、仕事もやりがいがありました。骨を埋めるつもりでいたんですが、入社して3年程経った頃、父が「うちに来ないか」と言うんです。当時は伯父が社長で従弟も働いていましたし、ましてや、将来の社長などという話は全くありません。ただ、祖父が興した会社でもあるし、使命感を持ち人生を掛けて取組むに値する事業でもあるというようなことを言われて、洗脳されたのかもしれません。
 転職後、営業、購買、経理を経て3年半ほどで、当時赤字だったアメリカの子会社に行かされ、「立て直して来い」と。地位的野心はありませんでしたが、中学時は陸上、高校・大学は柔道と“競技”に染まっていましたので、やるからには1番の実力者になりたいという気はあったと思います。そう思ってがむしゃらに事をやって来たことが、結局「社長をやれ」みたいなことになった訳です。入社17〜8年の頃でしたね。

 (藤本)
 
私の場合、おぼろげながら「後を継ぐ」というのはありましたが、金融が好きでしたから最低10年は証券マンをやるつもりでした。ただ6年ほど経った頃、父が体調を崩したので手伝いの形で入社することになりました。ベテラン社員の中で特別扱いされることなく17年の下積生活をしながら社長業を学んだという感じです。ともかく社員には気を遣いましたね。

 (長谷川)
 フジタに入社したのはバブル崩壊後だったのですが、その中で建築というより開発の仕事に携わって来ました。そこで知り合った2年上の尊敬する先輩であり、私の指導員でもあった方がフジタを離れ、アセットマネジメントの会社を立ち上げ軌道に乗せていたんです。とても優秀な方で、今当いちごグループの会長を務めています。私にとってこの方に会えたことは大変大きかったと思います。

 その先輩から声がかかり、私もお世話になることになりました。勿論、根っからのサラリーマンですから社長になるなんて考えもしなかったのですが、5年前、いちご地所という子会社を立ち上げることになり、社長を任されたことが、サラリーマンから経営者への道を進むきっかけになりました。
 社長といっても社員3名の会社でしたが、不動産再生ビジネスをスタートさせ、今や社員も20名を抱えるグループ内でも存在感のある子会社の一つに育てました。そんなことが認められたのか今年の4月、上場している親会社の社長を命じられました。いやあ、「寝耳に水」といった印象が正直なところです。

(司会)
ところで社長になって変わったことって何かありますか?

 (藤本)
 発言に気を付けるようになりました。中小企業ということもあるのでしょうが、自分の意見がイコール会社の方針と取られてしまうんですね。

 (菅佐原)
  社長の発言の重みは確かに感じますね。
 社長になると、より責任の重みというか、より強い拘束感を覚えるようになりました。最後は自分が背負っているんだなあという感覚ですね。保守的になったわけではありませんが、攻めるだけではなく守りしかも堅守が大事だなと思うようになりました。
 よりリスクヘッジを考えるようになったと言えるのかもしれません。

 (長谷川)
 喋るより聞くようになりましたね。それまでは何かを発信するつまりアピールすることに重きを置き、部下の意見にも耳を傾けていなかったような気がします。上に行けば行くほど、部下が膠着していくんですね。

 ある人から「長谷川さん3回『何で?』って聞いてごらん」と言われたんです。そうしたら相手の言っていることが理解できるよ、と。そうすると、全く想定外の答えが返って来るんですね。1回目は自分の方が正しいと思いますが2回目は50:50、3回目には「一理あるな」と思えるんです。思い込みで相手を判断していたことに気付かされます。最近は家内にも、よく聞いてくれるようになったと言われます。

 (菅佐原)
 実は私も必ず「何でそうするの?」って聞くんですね。それは分かりきったことを聞くようだが、ちゃんと本質を理解しているよね、というメッセージでもあるんです。流石に部下達も社長問答集でもあるのか、しっかりと答えるのですが、今の長谷川社長のお話を聞くと、1回や2回じゃだめなんですね。やはり3回聞かないと。いやあ勉強になりました。

(司会)
さてここで、皆さんの学生時代についてお伺いしましょう。

 (菅佐原)
 私は柔道漬けの4年間でしたね。授業には余り出なくて柔道は熱心だったので、「お前、柔道セレクションで合格したの?」なんてからかわれました。勿論、当時セレクションなどなく一般受験ですが…

 当時、四大戦は、学生数に比例してか、やはり学習院が選手層も厚く強かったので、なかなか団体で勝てず悔しい思いをしたのですが、私が副将をしていた3年の時に臨んだ四大戦では、5年ぶりの優勝を果たしたんです。私も全勝を成し遂げ最優秀選手に選ばれました。学長からも表彰された時は嬉しかったですね。
  ゼミは横倉先生でした。実は家内も武蔵の同学年の欧米文化学科でしたので、結婚する時には仲人をお願いしました。以来ずっとお世話になっています。柔道が中心の生活でしたが、今思えば経営・マネージメント関係の授業とゼミは少しくらいは勉強したかな。特に横倉先生のゼミは「企業の競争と戦略」というテーマでしたが、やっていて良かったとつくづく思います。
 結局、今の職責を成す上で、武蔵大での柔道とゼミは重要なルーツを形成しているのかもしれません。

  (藤本)
 
私も放送会やラストパスというサッカーチームに所属していて、サークル活動が中心の生活でした。
 本部や大学との関わり合いが強かったので、多くの方と知り合うことが出来ました。その後無意識のうちに 10年20年と繋いできた関係が、40歳を過ぎてから復活し今があると思っています。そんな縁の素晴らしさを肌で感じているところです。因みにゼミは吉田先生、最近お亡くなりになり残念です。
  よく皆さんから「君は空手か少林寺拳法?」と言われるのですが、残念ながら武道系ではなくサッカーのゴールキーパーだったのです。体は大きくはありませんが瞬発力には自信を持っていました。今でも「機敏な動き」をモットーにしています。

 (長谷川)
 
恥ずかしながら、私も先輩方と同じように勉強したという記憶はありません。確かに、1・2年の時は語学の授業もありましたのでそれなりにやっていたと思うのですが、3・4年の頃は、ご飯を食べてサッカーをやって夜中までマージャンといった生活でした。所謂「昔の学生」のイメージそのものです。ゼミは増田先生、戦略的情報システムがテーマでした。

(司会)
皆さん、アルバイトは何かおやりになっていましたか?

 (菅佐原)
 
柔道部が一括して請け負うアルバイトというのがあって、中元歳暮の時期になると部で組織的に請け負っていました。一部は上納金という訳ではありませんが、部費に充てられていました。大学の各サークル特に体連系がよくやっていましたね。あと、海の家で毎夏バイトしていました。

 

(司会)
雇う側からすれば労働力の安定的確保が図れたという訳ですね。

 (藤本)
 
私は父の会社を手伝い、アルバイト代を稼いでいました。

(司会)
ところで皆さんご出身は?

 (菅佐原)
 江戸っ子、神田の生まれです。5歳の頃、新宿に移り、結婚後今は千葉の市川に住んでいます。

 (長谷川)
 
私は千葉県習志野市出身です。学校までは1時間半かかりました。そこで3年の時、下宿しようと思って母に相談したんです。すると自動車免許を取るか下宿するかどちらかにしなさいと。勿論「両方」と答えたのですが、ダメだと言われ、結局下宿を選んだ訳です。

 先ほどご紹介した通りマージャンで徹夜し、友人の家にころがりこんでいましたから、さすがに「いい加減にしろ」と言われ当然の如く下宿することになりました。自分の城を持ちたいという思いもありましたね。

 (藤本)
 大学生当時は現つくば市が自宅で遠かったので、週4日は学館内にある放送会の部室で寝泊まりしていました。放送会には、密閉され絨毯の敷かれたスタジオがありましたから、冬でも暖かいんです。しかも上の階には体連系部員の為の風呂もありましたし、ほんとに快適でしたね。

(司会)
今では考えられないエピソードですね。新しい学生会館はセキュリティもしっかりしているし、寝泊まりも厳禁ですが、ひょっとしたら藤本さんのことが伝わっていたのかもしれませんね。

 (藤本)
 おかげ様で結局、下宿生活を送ることはありませんでした(笑)。

 

(司会)
ところでその学生時代から今に繋がったエピソードってございますか?

 (長谷川)
 
)まさにそういった点でご紹介申し上げると、当時フジタはプロのサッカーチーム、ベルマーレも持っていましたし、フジタカップという冠付き大会も運営していました。人材発掘には積極的でしたね。東京の大学のサークルを蔵王にある自社運営のホテルに集め、イベントを実施していました。そういった縁もあって、ある日私にもお声がかかり、就職先として選ぶことになったのです。

 

(司会)
ところで、社長になられてから、特に「社長」を意識した出来事がありましたらご紹介下さい。

 (菅佐原)
 
社長になって2〜3年目の頃だったでしょうか、お客様との間で大きなトラブルが起きたことがあります。ともかく最終的には私が謝罪すると共に折合いをつけに行かなければならない、最後は自分だ、その為に社長がいるんだ、ということを強く意識しました。
  確かに役員や部長クラスで解決することも多いと思いますが、だからといって、自分が引いてはいけない。ポジティブで創造的な事だけでなく、ネガティブで大変泥臭い所も合わせて受けていかなければならない。それが社内に於けるしっかりとした組織の背骨作りをする意味でも、お客様にご納得頂く意味でも大事なものなのかなと思います。

 デイリーのことよりもマンスリー、イヤリーのことよりも、何年に一度あるかないかといった局面で対応できるかどうかが問われているんだと思います。社長って大変なんだと教えてくれた出来事でもあり、まさに神様のお告げのようなものだった気がします。

 (長谷川)
 
上場会社の社長だと、マスコミや株主との付き合いがあり、常にメッセージを発信しなくてはなりません。毎週のようにメディアの方々とランチをするという環境の中で、積み上げ型のイメージで将来を予測していては間に合わないんですね。今のビジネスの中の延長線上でものを語ると誰も聞いてはくれないというか面白味がないということになる。

 従って、先からの逆算でものを語るようにしています。先を見据え、それをブレークダウンしていく。まさにメッセージを社内にも社外にも示していく志向性が大事だと思っています。それが、今一番気を付けていることです。

 (菅佐原)
 
社長として経済的な収支を作っていくという大きな役割はあるものの、最も大切なことは、「企業の志」のところをどう出していくか、生業を何にするのか、トップがブレない方向性を示すことだと思いますね。

 (長谷川)
 
お二人はDNA的に社長としての素地をお持ちだと思うのですが、サラリーマンから上がって来た時に、その志をどこに置けばベストなのかということを考えています。今まさに社長面談を社員全員を対象にやっていまして、皆の意見を聞くことにしています。
 そこで、自分が目指すものと彼らの言うことを少しでも融合して、会社としての志を示していけたらいいなあと思っています。

 (藤本)
 
まだ世間に広く知られている会社ではありませんし、オーナーとしての強いリーダーシップを持ち味にやって来た会社なので、これまで父がやってきた延長線上にあるというのが正直なところです。
 ただ、巡り合って来たこと、降って来たチャンスを如何に掴むか、どれだけ掴めるかがキーになってくると思います。10年前にお会いした方から突然オーダーが入ったり、何かの会で私の名前が挙がったり、それが大事なんですね。如何にアンテナを高くし、網を張り仕掛けていくか、如何に縁をビジネスに繋いでいくかが重要です。それが出来るかどうかを社員も見ているのだと思います。

(司会)
さてここで皆さんの素顔に触れたいと思います。重い責務を背負い会社の業績と社員の幸福を目指し日々ご活躍なさっている皆さんを支えているのはご家族だと思いますが、如何でしょう?

 (長谷川)
そうですね。我が家は9歳を筆頭に5歳と1歳、3人の娘がいます。冒頭にもお話したように、社長になってから家族には「最近よく話を聞いてくれるようになった」と言われます。

 (菅佐原)
うちは大学3年生の娘が一人いるのですが、今は関西にいます。妻は卒業したら東京に戻るようにと言っているようですが、どうなることやらわかりません。

 (藤本)
結婚が遅かったとはいえ、もう3年が経ちました。子供はまだですが、そろそろかなと。因みに家内は14歳年下です。

 (長谷川)
14歳も年下だなんて、それは犯罪に近いですね(笑)。

 

(司会)
 やはりご家族の話をされる時は皆さん頬が緩みますね。厳しさ一点の社長ではないことが良くわかり、安心しました。
 さて、社長としてのこれからの抱負を伺ってみたいと思いますが、如何ですか?

 (長谷川)
会社というのは儲けなければならない。しかし儲けることが全てではない。社会貢献性というか、存在意義をしっかりと持ちながら儲けていける会社、というのが必要だということを、今強く感じています。大義とニーズといったものを自分の中でよく理解しながら、噛み砕き、ブレークダウンして、一緒に働く仲間たちに伝えていくと同時に外に発信していきたいと思います。そして、何かに際立ったものを持つオンリー ワンの会社にしていけたらなあと思っています。

 不動産業というと、デベロッパーというか、処分だとか出口だとかいった余りいいイメージのない言葉を使います。メーカーではありませんが、もっとお客様に寄り添った、メンテナンスをイメージした不動産メーカーのようなものを作っていって、そういった商品を提供していければいいなと思っています。資産形成といったような形でずっとお付き合いしていける関係をつくり、不動産のイメージをもっと良くしていきたいと思っています。

 (菅佐原)
 私共の所属している業界は、どちらかと言うとローテクな業界なんですね。
 商品自体もハイテク製品の様に短期間で陳腐化するものは少なく、ライフサイクルが長い物が多い。その中では弊社は特許も多く取得し先鋭的技術に挑戦している企業ですが、しかし、商品の償却は細く長い。市場が連続的に急変したり、流行による変動が大きく商品を半年1年で償却していく刹那な世界感ではないんです。

 そういった市場特性の中で弊社の短中長期・保守革新といった多様な属性を持った数万点の商品アイテムの構成は、ある意味ポートフォリオ分析的な思案が必要なところがあります。どう商品と技術を組合わせ構成するかによって、リスクをミニマイズして可能性をマキシマイズするか。創業以来85年間、一度も赤字決算をしていない安定実績を残していますが、その安定力を守っていくのは細かい挑戦だと思うんですね。

 トラやライオンの様な単体的強さとかいうのではなく、アリの軍団のような群れの強さで勝負する。事業展開にしても長いタームでやり抜くブレない志向性と挑戦の持続性を持っていないと成功には辿り着けません。新しい何かをやるというより、自分達が持っている本質的なところを、時代に合わせ陳腐化させることなく継続的に発展させていくことが大切だと考えています。

 (藤本)
 我々の業界、特に文字校正は一般の方には馴染みがなく、世間で余り知られていません。謂わば印刷出版に於ける最後の工程なんですね。編集業務に比べると地味ですが校正を入れないと世に不完全なものが出てしまう。不充分だと折角の企画も台無しになる、そんな重い責務を背負っています。それだけに得意先には迷惑をかけられない。常に完璧なものを目指すことに努めています。一つ一つの山は大きくありませんが、それを構成する部品のようなもの、それが校正の仕事でもあります。ある意味「縁の下の力持ち」ですが、そういった点も強化していきたいですね。また、将来子供に聞かれたときに簡潔な言葉でわかるような業務を目指していきたいと思っています。最終目標は、私が社長の時代に上場を果たすことです。父の築き上げて来たものを踏襲しつつ、自分の色を出して会社を大きくし、上場を実現させ、次の世代に繋げたいと思っています。

(司会)
 最後に皆さんの座右の銘、もしくは大切にされている言葉があったら教えて下さい。

 (菅佐原)
 特に座右の銘としているものはないのですが、ふと思い浮かんだのは「克己」と「不撓不屈」ですね。そういえば高校の柔道場に「克己」という言葉が掲げられていたし、横綱貴乃花が大関昇進受諾の際に「不撓不屈の精神」と言っていたような気がします。何れも武道系っぽい言葉ですよね。

 (藤本)
 ひとこと「縁」です。

 (長谷川)
 母にいつも言われてきたのが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉です。ともかく、偉そうにするな、天狗になるなと、まさにその通りですね。

(司会)
 ありがとうございました。

(司会と文:広瀬 壮二郎、28回経営)