“武蔵な店紹介<麻布青柳>” 

武蔵大学同窓会のホームページに寄稿していただいた矢島和子さんをご紹介させていただきます。
5回生の矢島和子さん、大先輩です。でも驚くなかれ、実はその前に医大進学コースであるプレメディカルをご卒業なさっておられるんです。プレメ終了後、みごとに女子医大に合格なさいましたが、ご家庭の事情で入学を断念、再度、経済学部に編入なさり、男子学生をしのぐ勉強パワーを発揮、ご卒業なさいました。
1964年、東京オリンピックの年に麻布の和菓子屋さんに嫁がれ、ご主人が先代から引き継がれた「麻布青柳」の暖簾をお二人で守り、今にいたっていらっしゃいます。
この間、ご主人が大怪我をなさったり、ご自分が病気で入院をなさったり、本当にいろいろなことがあったと伺いました。
和菓子でさえ、機械でつくるようになってしまうことが多いこの時代、ご主人が材料の粉まで石臼でひいて、吟味し、丹念にひとつひとつ作り上げた和菓子を、シヨウケースに並べるのは矢島和子さん。息のあったお二人です。
人々の生活の中で、交通や通信など速さが求められる一方、空の雲を見上げ、風の音を聞き、慌てずにものごとを消化させてゆくことも必要とされる「時間の二極化」がいわれる時代、車の往来が絶えない高速道路の下、麻布青柳さんのお店に入れば、そこはゆったりと時間が流れる、スローフードの世界です。

山下多恵子(22欧米)

<麻布青柳>
住所: 港区西麻布2-14-4
TEL : 03-3400-4598



武蔵大学には医者になりたくて入学いたしました。3年間医師学進学コースに在籍し女子医大に合格しましたが、家の事情で断念し経済学部に編入し無事卒業いたしました。
現在私は和菓子屋麻布青柳の営業担当の「おかみさん」であります。変貌を続ける西麻布で40年間主人の手作りの和菓子を売り続けて参りました。
嫁いだ年は東京オリンピック開催の後で霞町の幹線道路は都電を廃止して道幅を広げる工事をしておりました。私どもの店は表通りより入って三軒目に和菓子青柳の看板を掲げ、当時は主人の父と妹が手伝ってくれまして近隣に住む人たちが大切なお客様でした。
午前8時より午後9時半まで迄営業し、父から仕入れと袋詰菓子の方法等教えていただきました。主人の仕事は何もかも手作りお饅頭各種、お赤飯、餅菓子、創作上生菓子、供餅等時間と手間がかかります。
年賀、節分、雛節句、春彼岸、入学、五月節句、お盆、秋祭、秋彼岸、七五三、歳暮、餅つき等行事にはお客様が大勢見えます。この他結婚、出産、各種祝事、佛事に関わる注文が絶えずあるのです。結婚1年後に長男を出産し、続いて次男、長女と三人の子に恵まれました。
商売は繁盛しました。私も育児をこなし、お店にも力を注ぎました。娘が9ヶ月の時、ぎっくり腰を起こし、1週間寝込む初めての事故でした。次の災難は主人が41歳の秋、風邪をこじらせ肺炎を起こし3週間寝込んでしまったのです。小学校4年の長男が必死に助けてくれまして第2の危機を乗り越えました。この頃近くにローソンが出店、私共のお店は大きな打撃を受けました。その後主人は風邪を引くと高熱が出ると言う状態が続き悩み考えた末、パスコと取引を開始して落ちた売上を取り戻す事が出来ました。
それから6年後、主人49才の時、右手中指を臼で突いてしまったのです。40日以上右手を使えず評判の串団子は今日まで作ることが出来なくなってしまいました。葛桜も形が変わりました。それでもお客様は応援してくれました。次の試練は3年後私が長年苦しんだ胆石の手術と静脈瘤の手術でした。夏場1ヶ月の入院で済みました。そんな時三越製作所の叔父が三越のデザイナーを紹介してくれまして、思い切って改装したのです。木材はタモに揃え、照明は間接照明に、床の間も造りました。この時の記念に主人は「古今」を考え作りました。栗一粒を蒸し羊羹で包みふかした和菓子です。今日までファンが増えております。
主人と二人の小さな店ですが今や大切な場となりました。今年11月で70歳を迎えます。元気であれば、ずっと主人の作ったお菓子を売り続けたいと願っております。
武蔵大学の同期の友より沙汰あれば何とか都合をつけて出席しております。主人が出られるように応援してくれるからです。大切な青春時代机を並べて学んだ友達だからです。今を大切にする事に繋がるからです。

矢島 和子(5経済)