■木曽漆器の創作工芸家、手塚英明さんを紹介いたします。

 漆の刷毛にたっぷり含ませた創り手の思い。 その思いが何層にも塗り込められ、やがて「畢生(ひっせい)椀」の誕生となる。
 漆の町、木曽平沢。そこで引き継がれてきた古き良き伝統が新しい展開を生んだ。そこにあらわされた真髄とは…


手塚英明さん 日本人なら誰もが一度は訪れたいと思っている木曽路、またそうでない人にも藤村の「夜明け前」の舞台となった木曽路はあまりにも有名である。 木曽山中の谷間を蛇行する奈良井川に沿うようにして木曽平沢の集落がある。 400年の伝統が静寂の中で脈々と受け継がれてきた漆の町である。
  この平沢で木曽漆器製造販売「ちきりや・手塚万右衛門商店」を営む手塚英明さん(27E)をお訪ねした。木曽は新緑の真っ最中で若葉から潜りぬけて吹いてくる風が清々しかった。

◆アイデアは即、却下の破目に。自分の思いを伝えたい一心で漆芸を
学ぶ

 高2の時であったか、担任の先生との間で進路(大学受験)の話が出た。大学なら理科系の方が自分にあっていると思ってはみたが、ちきりや 手塚万右衛門商店特にやりたいこともなかったので「家を継ぐ」くらいの漠然とした考えしか湧かず、漆問屋であることも考えて文系の経済学部を受験した。
  東京での学生生活が始まってみると、それまでの漆に囲まれた生活が「非日常的」であることに初めて気づいたという。友人の家に行っても、定食屋に行っても、漆器の少なさに仰天した手塚さんであった。
  卒業後も東京の漆器問屋に勤め日本全国の漆産業の流通やシェアを学び、経営者としてのknow howを身に付けることに没頭し、これから先、自分で漆器を創ることになろうとはその時、全く思ってもみなかった。しかし、その4年間が、自分でも気づかないうちに、これからの漆器創りを生み出すパワーを育てていたのである。
  自分が都会で見てきた漆の器と、ここ平沢の伝統的なものとの間には、感覚的に大きな違いがあることを感じ、自分のアイデアや思いついたものを、職人さんに何回となく提案してみたそうである。その都度、「作れるわけないっ」、「できないっ」と案の定、相手にしてもらえなかったのである。せめて職人さん達に自分の思いを伝えることのできる見本ぐらい自分で創れるようになりたい、との願いから木曽高等漆芸学院に入学したのだった。これから先、七代目 手塚万右衛門の漆の器が世の中に出て行くことになる。

◆畢生を心根とした漆器創り
  娘さんが生まれ、ひとりで食べることができるようになった時のこと、普通の子ども椀でさえ、子どもの手にとっては大きすぎることに気がついた。子どもの成長に合わせて手になじむ器を創ることが大切だと考えついたものの、当時はバブルの絶頂期にあり、有り難いことに、漆器の需要も増え、製造に追われていたため、自然と後回しにしてしまっていたのである。
 そんなある時、店を訪れたお年寄りのご婦人がこんなことをおっしゃった。子ども椀を手にとりながら「歳をとってくると食も細くなってしまうのですけれど、これでは小さ過ぎるし、だからといって大人用のお椀では大き過ぎてしまうのよね。この間のサイズがあったらいいのですけれど…。」
  子どもにとっても、大人にとっても、もっといろいろなサイズが必要であることを電撃的に気づき、人が一生の間に使う器創りを目指そうと思ったという。これが「畢生椀」(ご飯椀6種、汁椀6種)の誕生である。ここ最近では、さらに丼サイズ8種(ご飯用4種、汁用4種)を加えたそうである。 いちばん初めに手にした器で子どもがご飯を食べ始め、 育ち盛り、そして食欲旺盛な青年期を経て、 その後、歳を重ねれば重ねるほど食べる量も減って行く。すると小学生のころ使っていた器が再び登場してくることになる。 でも、最初に手にした器は小さすぎて二度と再び使われることもなく人はその生涯を閉じてしまうことになるのであるが、その人の最初の器は、御仏壇にお供えする仏さまのご飯椀として使ってもらうことがいちばんと手塚さんは願っている。手塚さんのいう「畢生」がそこにある。
 小さな手で持っていたお椀がその生涯の証しとしてその家の仏壇の中で、 毎日、家の人から大切にされている。なんとすてきなことではないか。「畢生椀」に胸が熱くなった。 木曽平沢の豊かな自然に囲まれ、ゆったりとした時が流れる中、このような温かな七代目 手塚万右衛門の「畢生」への思いが、器という現実になって生み出された瞬間を私は感じた

様々な漆器


◆「創り手の後継者不足」は「使い手の後継者不足」。 漆器の良さを後世に伝えたい。
 「畢生」の考えは箸にも反映されていて、なんと10サイズもの箸が常時「ちきりや」に並んでいる。握りこぶしの中に入ってしまうほど可愛い箸もあり、見ているだけでそれを持つ幼子の手までが見えてくる錯覚におちいってしまう。漆の温もりが直に伝わってくるからであろう。
  「畢生椀」に留まらず、七代目が独自であみ出した「墨春慶(すみしゅんけい)」、「乱根来塗(みだれねごろぬり)」、「乱曙塗(みだれあけぼのぬり)」の器からも、温かさが伝わってくる。 インターネットに制覇され、誰もがいつでも、どこからでも欲しいものを手に入れることができる世の中であるからこそ、直にその地を訪れ、直に品物に触れることが、より一層必要なことであり、また地元の子どもたちには地元のよさを知ってもらい、さらに漆のよさを知ってもらって大人になることが大切であると手塚さんは思っている。漆産業だけに限らず、地方、地域が生き残っていくためには、いま、地場がどうあるべきかを真剣に考えなくてはならない、とも語ってくれた。

様々な漆器

  日本ほど四季のはっきりしている国はない。「日本人は五感でものを考える人種なので、季節の変化に対する感覚は世界中のどの人よりも優れているはず。その中で本物を考えていくように誰もがなってほしい」と、手塚さんの意欲的な漆芸活動はこれからも続いていく。

山下 多恵子(同窓会常任理事、広報委員会)






 手塚英明さんと木曽漆器製造販売 「ちきりや 手塚万右衛門商店」