■武蔵大学の体育・スポーツの歩み
  その1「体育科教員スタッフ今昔」
武蔵大学名誉教授 福本 久雄
(昭28〜40 高中専任・ 昭45〜平12 大学専任)

 私が武蔵学園に勤めたのは昭和28年(1953)4月である。当時一般教育担当の先生は旧制高校の教授が中高大を兼任されていた。大学の体育は杉本栄先生(昭18〜58 武蔵大学名誉教授 平17死去)が担当されていた。私は中高専任として就職したので、大学は兼任講師として大学の授業を担当した。
 全体としても小規模な学園なので、大学と高中との関係は互いに助け合う気風があった。文化祭、記念祭、運動会なども大学・高中合同で行われたりした。特に体育は同じ施設や用具を使用していたので必然的に情報を共有しなければならず、教員室も同居し杉本先生を中心に体育教員全員で中高大の授業を担当した。

 当時の江古田の体育施設は倉庫の様な体育館(バスケットコート1面)、グランド(野球・サッカー兼用)、テニスコート4面、多面的空地1面、これを中高大で譲り合いながら使用していた。夏休み明けは草ぼうぼう、授業はまず草毟りから始めなければならなかった。予算も少なくボールも満足に買えず、今とは雲泥の差だったが学生達はスポーツのできる喜びを身体一杯に表わしプレイしていた。

昭和30年代の体育科教員

 私が勤めた翌年に帖佐寛章先生(昭29〜31 全日本陸連副会長、順天堂大名誉教授)、小口正行先生(昭31〜34 信州大学名誉教授)、飯塚祥人先生(昭32〜43 元ハンマー投日本記録保持者、在職中死去)など錚錚たる先生方を迎えたが所属は高中専任で大学は兼任講師であった。
 大学専任として迎えたのは赤井岩男先生(昭34〜平18 武蔵大学名誉教授)である。当時武蔵大学のクラブ活動の中で盛んだったサッカーの指導者をということで東京教育大(現 筑波大)サッカー部で活躍されていた赤井先生に来ていただいた。先生は定年迄武蔵一筋に永年勤続47年武蔵の為に盡された。その後杉本先生の後任として神尾正俊先生(昭41〜53高中専任、昭54〜現職)を大学専任として迎えた。赤井、神尾両先生は体育を身体運動科学と改め新しいカリキュラム(種目選択など)の作成に盡力された。この新カリキュラムは平成8年から実施され現在行われている。
 女子学生の増加にともない女子指導者の必要から昭和の女三四郎として有名な柔道の山口香先生(平元〜19)を迎えた。山口先生は人気と共に武蔵の知名度UPに貢献されたが、残念ながら筑波大大学院に移られた。
 現在は神尾先生を中心に上向貫志先生(平11〜 サッカー、スポーツ心理学)、田中愛先生(平20〜 バレーボール、体育原理、教育学博士)の若手先生が頑張っておられる。

現在の基礎教育センター・教職課程教員