■恩師、鈴木先生の思い出
武蔵大学名誉教授・1回生   向山 巖

向山先生 私が山梨県にある国立大学の教養課程を終え、武蔵大学の1回生の3学年に編入したのは、1951年のことである。同じ年の編入仲間に、「武蔵大学讃歌」の歌詞を書いた斉藤忠三君(同窓会報『武蔵No.58参照』)など旧制高校や高専の出身者が何人もいた。武蔵への転学理由については、向山ゼミの冊子「武蔵と過ごした半世紀」に記したが、一言でいえば鈴木先生に「魅せられた」からである。1950年秋、鈴木先生が講師の時事経済講演会が甲府の県会議事堂で開かれた。講演内容は、朝鮮動乱期の日本経済の分析であったが、強く印象に残ったのはいかにも学者らしい風格と説得力に富んだ語り口であった。

  その翌年の春、編入試験に合格し専門課程で学業に精出した。鈴木先生を慕って入学したのだからと勉学に集中、学問の面白さが次第に分かるようになった。専門ゼミや原書購読が充実していることにも満足した。卒業と同時に東北大学大学院に進学したが、在学中、鈴木先生は教え子が世話になっているからと、二日間連続の日本財政論の講義を引き受けられて私は助手を勤め、夜は旅館でご馳走になったことが懐かしい。修士課程を終えた私は、教授会の承認を経て武蔵の研究助手に採用されたが、以来、学部長の鈴木先生の下で教員として、また研究者として本格的なご指導をいただくことになった。

 半世紀を越える私の母校の教員としての人生は、甲府の講演会での半ば偶然ともいえる先生との出会いから始まった。先生は退職後は武蔵大学の初代学長になられたが、半年後の1975年秋、学生紛争の最中に突然倒れられ、大学近くの病院で12月に逝去された。私は葬儀では司会を担当したが、先生の遺影に向かい“武蔵の父”と呼び掛けた時の悲しみと思慕の念は30年を過ぎた今日でもこころの中から離れないでいる。鈴木ゼミの機関紙「あぷりーりす12号」で「先生によって“生命”を与えられた武蔵大学という大きな遺産を大切に守り、育てることに全力をつくすことが先生のご恩に報いる唯一の途ではないか」と書いたが、先生のご年齢をかなり過ぎた今でも忘れることができない。