■同窓会に強い関心を寄せられた正田建次郎先生
武蔵大学名誉教授・1回生   向山 巖

正田元学園長 正田先生が武蔵学園と特別の関係をもたれたのは、1965年4月に武蔵大学学長に就任されたことによる。大学の開設以降、歴代の学長は学園の運営にあたる理事会の推薦によって選任される規定(その後、学長は教授会の選挙となり、その上に学園長が作られた)であり、教授会が直接にかかわることはなかった。当然、正田先生もまた理事会任命の学長としてその職責を果たされたのである。先生は、大阪大学学長の後、請われて武蔵大学に着任されたが経済学部だけの小さな大学にとっては大物学長の誕生であった。

 当時の私は、武蔵の教員になって10年目、授業のほかに教務委員長(当時は入試委員長も兼ねる)のポストに就いていたことから、先生と接触する機会が少なくなかった。とくに入試の時期になると、大学の財政状況を心配されて、なるべく定員を確保できるよう多めの合格者発表を学長室で注文されたことを思い出している。先生とのかかわりで起きた大きな出来事は、学生会館のなかで学生が自殺するという痛ましい事件であった。早朝、守衛さんから私の家に電話があり、大変なことが起きたから大学に直ぐにきてほしいとのことであった。私の次に先生が駆け付けられ警察との折衝を済ませ、ほかの教員がくるのを待ちながら、学生部の部屋で先生と二人で共同作業で湯を沸かし、お茶を飲み、話し合ったことが脳裏に浮かんでくる。

 当時、先生と接触の多かった私は、同窓会の在り方についてもよく相談した。同窓会は存在していたというものの、本部は学生部の部屋の片隅に机のみという小規模なものであったから、なんとしても独立した本部事務室を作ってほしいと申し出た。先生はキャンパス内のどこかに適所はないかと私と一緒にあちこち歩き回った。結局、千川通りに面した現在の同窓会の建物のある空いた敷地に、山小屋づくりの平屋の建物が出来、本部のほかに同窓会直営の食堂が設けられた。建設資金の多くは学園からの支援であり、先生の意向が強く働いたと聞いている。

 先生は、旧帝大の学長、数学の世界的な権威、姪の方が当時の皇太子妃、という先入観から最初は近づき難かったが、実は庶民的で好好爺、濯川の辺に建てられているレリーフは20回卒業生の寄贈であり、学生紛争の激しい時代のなかで学生から慕われ愛されている名物先生のお姿をそこに見ることができる。