■温容さをもって学生に接した小沢先生
武蔵大学名誉教授・1回生   向山 巖

 1952年の夏休みが終わる頃、大学4年生の私は卒業したら大学院進学を決めていた。小沢辰男先生登校のため江古田駅を下車した私に声をかけてくださったのは、その年に助手から専任講師に昇進した小沢先生で、担当ゼミの学生でない私を知っていたのに驚いた。その時、先生から「大学院へ進学するなら勉強の指導をするよ」という有り難いお言葉をいただき、早速、小沢塾に入門、毎週1回、神田の新婚家庭にお邪魔し、原書を読み、マルクスやケインズの理論について学んだことを記憶している。やがて私は大学院を経て母校の教員となり、教授会に出席するようになると、先生から公私にわたりご指導をうけた。先生と私は両親が山梨県人であったこと、私の結婚披露宴では素晴らしい祝辞をいただき、伊豆への新婚旅行では「夏目漱石」の逗留した旅館を紹介してくださるなど兄貴のような存在であった。

  旧制一高から東京帝大へとエリートコースを歩いた先生について特記したいのは、どの学生に対しても厳しさと同時に温容さをもって接したことである。武蔵のような小さな大学でも、1960年代後半から70年代の前半には激しい紛争が起こった。先生は活動学生の立場に対して良き理解者で、一時期、彼等が正門を封鎖するという非常事態を起こした時、正門反対側の道路脇に何時間も座りつづけた先生は、学生が過激な行動を起こさないよう心配されていた。また、70年代の初めに私が学生部長として活動学生と対応した際に、柔軟路線の学生部の立場を擁護してくださったことなどが、私の胸に強く焼きついている。

 先生がゼミ生だけでなく多くの卒業生からも慕われたが、その一例として同窓会が招待する恩師を決める際に人気の高かったのは先生であった。毎年、春先になると開かれる1〜3回生と5回生の会合には先生は必ず出席され(私も同席)、その時代にマッチしたテーマについて資料をくばりながら有益なレクチャーをしてくださったことが思い出される。亡くなられる前年、戦時中に学徒出陣で海軍中尉の先生の体験をつづった「8月15日のZ旗」のレクチャーは「戦争とは不条理である」という言葉で結ばれたが、それが先生の「遺言」でもあった。 鈴木武雄先生の高弟の先生は、地方財政・自治問題の研究者として活躍され、1993年に退職するまでの42年間、武蔵一筋で教育に取り組まれた。83歳でご逝去されてから2年を過ぎた本年1月11日、小平霊園でのキリスト教による「墓前礼拝」に参加したが、私の人生航路を導いてくださった先生への感謝の念とご冥福をこころからお祈りしたのである。