■岡茂男先生一学者、教育者として非凡な生涯
武蔵大学名誉教授・1回生   向山 巖

 私の家の書棚には『岡茂男・関税政策著作集・全六巻』が並べられている。先生は晩年、病床にありながらも、長年にわたる膨大な研究業績の内容のチェックに取り組まれた。全集がすべて完成したのは、1994年、先生が天国へ旅立たれた翌々年のことであった。関税政策が研究テーマとした先生の著作集は、日本の関税問題研究にとって不可欠の文献であり第一級の学者としての先生を垣間見ることができる。

岡先生胸像

 ここで先生の教育者、人間としての側面について述べてみたい。 私は、先生のご逝去にあたり定評ある経済誌「世界経済評論」1993年3月号に「故・岡先生をしのんで一学者、教育者としての非凡な生涯」と題するかなり長文の追悼文を書いた(この文は、岡ゼミの機関紙である「おかぜみ39号」にも載せていただいた)。そこでは先生の学者としての側面の紹介が主であったが、先生は教育者として人間としても非凡であった。1952年に九州大学の助手を経て、鈴木武雄先生を慕い本学の専任講師に就任された先生が担当された専門ゼミは、学内の数多いゼミのなかでもっとも人気が高く、多くの俊秀が育てられた。

 先生の教育者として優れた側面の一つに触れたい。先生は武蔵に着任されて4年経過した頃、母校の九州大学からもどるよう要請があった。先生の随筆(武蔵大学商業英語部「Bec」21巻「関税と武蔵」参照)によれば、大分県のご出身で長男の先生は、母校に戻るべきか、それとも武蔵にとどまるべきか煩闘されたという。九大の給与は武蔵よりもかなり高く、旧帝大として研究条件にも恵まれ、それに家賃を加えると、九州にもどることは先生にとって生活水準、研究条件ともに遥かに得策であったという。しかし先生は前掲の随筆のなかで「学生諸君との深い結びつきや、恩愛の心情を思うと私には、武蔵を捨てて九州に去ることなど、とうていできなかった」と書いており、武蔵の学生に対する愛情や情愛の深さに頭の下がる思いであった(またゼミの教え子の敬愛の念は、退職後、学内の2号館に胸像の建立となって示された)。先生はやがて学部長、そして学長にもなられて教育行政の面で武蔵の発展に大きな足跡を残された。武蔵でも激しい学生紛争が燃え上がった1970年代、私は先生の命令を断れず学生部長になったが、活動学生との対応にあたり先生と頑張ったことが今でも忘れられない思い出となった。当時、ヘビースモーカーであった私は、健康上の理由で突然禁煙を宣言、私を上回る喫煙者の先生にも同調をお願いしたが、これだけは勘弁してくれとのご返事であった。72歳で天国に旅立たれたが、78歳になった私は、先生がもし私と一緒に禁煙を承諾してくださったら、もっと長生きされたのではと残念に思っている。