■人文学は人間の学であります!! (第2回)
武蔵大学名誉教授 鳥居 邦朗

 141教室の壇上に立った平井正穂教授は、開口一番、決然としてこう言い放った。その力強い声に私は衝撃を受けた。昭和48(1973)年、入学式の後の新入生父兄会でのことである。
 いつものように経済学部長の話があり、ついで人文学部長の登壇となった。経済学部にはすでに二十年を越える実績があり、それを踏まえて佐藤進学部長の話は落ち着いた堅実なものであった。しかしつい先月に最初の卒業生を送り出したばかりの人文学部にはそれに肩を並べるものはない。学部長はどんなことを話すのであろうか。新米の教務委員長として陪席していた私は落ち着かない気持ちであった。そして、平井教授の第一声を耳にしたのである。

平井正穂教授  実はこのとき平井先生は学部長代理であった。初代学部長高津春繁教授は、楽しみにしておられた第一回卒業生の卒業式を待たず前年秋に病に倒れられて病床にあった。上野景福教授が年度内の学部長代行を務められ、新学年から正式に学部長になられた。しかしその上野学部長が春休み中に胆石の手術をされて、このときはまだ入院中だったのである。そんな次第で着任僅か一年の平井先生が急遽人文学部長として挨拶に立つことになったのである。

  考えてみれば、人文学部長として新入生の父兄に語るべきことは多くない。「人文学部」という聞いたこともない学部に子弟を入学させた父兄に、人文学部の理念を語りその教育方針を明らかにすることであろう。平井先生は情熱を込めて人文学部の夢を語ったのである。話の内容は難しくても少なくともその熱意は伝わったであろうと思った。

  初代学部長高津春繁教授の「人文学部の構成理念」という文章が『武蔵大学五十年史』(平成14)に収載されている。いまその冒頭の一節を引用する。  

人文学とは, ローマのキケロの言うhumanitas、即ち人間形成のための諸々の知識とその正しい応用という考えにもとづいて、文芸復興期に興ったlitterae humaniores に発している。それは文学、歴史、思想はもとより、広く芸術全般、それらを培い育てる社会そのものの把握を加えて織り成された高い叡智を求める学問なのである。人文学部はこのような基本理念に立ちながら、広い視野をもった人間を育成することを目的としているが、これは一方において方法論的にも欠くことのできない基盤を研究者に与える。
  この文章は人文学部がスタートしたばかりの昭和44(1969)年の秋、大学立法反対闘争の中で全学集会で人文学部長が学生に口頭で説明するために用意したものだという。その元には学部設置の趣意書があったと考えられるが、このときには私はまだ専任教員ではなかったし、平井先生もまだ着任しておられなかった。しかし平井先生が父兄に話されたことは高津理念そのものだったのである。