• 開催報告

第55回土曜講座 

開催日時2018年7月7日(土)14:00~16:00
開催場所武蔵大学8号館7階8702教室

【第一部】朗読を楽しむ
講師:村松真貴子(28回日文)
(元NHKキャスター、エッセイスト、食生活ジャーナリスト)

朗読の世界でこの方のことを知らない人はいないと言われる村松さん、朗読は特別の人の為ではなく、私達が楽しむことのできるものだと教えてくれた。上手い下手はあるにせよ、同じ題材が読み手によって全く違うものとなる。正解はない。百者百様に個性に満ちた趣のあるものになるのだ。先ずはやってみること。題材はどこにでもある。
講演では、黙読・音読・朗読の違い、日本語の美しい響きとされる鼻濁音の解説と実践、そして朗読のコツを伝授してくれた。①意味の塊で句読点をつけること②高い音から読み始めて徐々に低い音に落としていくこと③内容にあった「間」をとること がそれだ。
そしていよいよ磨き上げられた感動の朗読の披露へ。内容は戦時下で人の手によって命を奪われることになった上野動物園のゾウのお話。静まり返る会場に響く村松さんの声は美しい調べのように心に届く、そして悲しみの結末へ。いつの間にかのめり込んでいる自分の姿に驚いた方も多いだろう。映像が与えるストレート過ぎる事実はその事象を理解するスピードとしては他に追随を許さない。しかし受け手に考える隙を与えない。朗読は、受け手に感じるそして考える間合いを与えてくれるのではないか。そんな気がする。朗読の持つ不思議な世界感・魅力がそこにあった。
この日はゲストとして、60歳を過ぎ村松さんの門を叩いた日暮道生元同窓会長の朗読が披露された。もともと才能がおありだったと思うが、プロ顔負けのパフォーマンスに会場は拍手喝さいの嵐、僭越ながら「お見事」との言葉しか出なかった。
朗読のコツ、話し方教室、食文化の伝承と多忙な毎日をお過ごしの村松さん。そんな中、同窓生には無理を言って生涯学習などで特別に指導をして頂いている。次はいつになるのか、首を長くして待つことにしよう。

(報告者:広瀬壮二郎 28回経営)

【第二部】〈声〉の日本芸能史
講師:漆澤 その子(人文学部教授/日本・東アジア文化学科 文学博士)

 漆澤氏は、著書「明治歌舞伎の成立と展開」が専門です。50演目収録の知識ゼロから“マンガでわかる歌舞伎”の本も出版されています。
講座では、日本における、声が織りなす芸能について講演されました。声を用いた表現は、「歌」と「語り」があります。歌は、情緒的で抽象的な、音声を伴う詩的なものが多く、語りは、叙事的で具体的な内容のものが多く見られます。音による伝承は、筆記以外の記録媒体が無かったため研究が進んでいません。当講座では、「語り」を中心に話されました。「語り物」のはじまりは、最古の叙事的内容の古事記(712年)です。これは、稗田阿礼(ヒエダのアレイ)という人が、天皇や豪族の系譜の記憶を誦習し筆記させて記録したものです。その後、「語り」は扇拍子で間を取る、或いは琵琶の演奏に合わせて「平家物語」を語る「琵琶法師」が盛況となり、15世紀半ばには、京中に5~6千人の琵琶法師がいました。「語り」は、16世紀以降の戦国時代にも流行し、織田信長も舞ったとされる軍記物などを語る「幸若舞」(コウワカマイ)には、子鼓の伴奏で動作(舞い)が入るようになりました。
江戸時代以降、大阪では浄瑠璃姫と牛若丸の恋物語を描いた「浄瑠璃物語」が町人を中心に人気となり、人形と結びついて人形浄瑠璃となりました。江戸では、歌舞伎舞踊と結びついて、常盤津・清元が成立しました。
物語に対する臨場感を求めて、音声や視覚的充足によるリアリティーの補完で「語り」のビジュアル化が行われました。しかしながら、現在でもなお上演される「語り物」の普遍性は、人形や歌舞伎(芝居や踊り)などの視覚的要素に束縛されない、「語り」そのものが誘う、自由な想像の世界への憧憬にあるといえるのです。

(報告者:岩本茂樹 30回経済)

 

 

※平成30年12月以前の開催報告は、旧サイトでご確認下さい。