• 開催報告

第62回土曜講座

開催日時2022年7月16日(土)
開催場所1号館1階1101教室

【第一部】14:10~15:20
日本国内最後の戦場、樺太―民間人を巻き込んだ日本国内の戦いは沖縄だけではなかった
◎藤村 建雄(第41回経済学部)北方近代史研究所所長

昭和20年8月15日正午、昭和天皇による玉音放送により、戦争の終結が日本国民に告げられた。しかし、日本の内地であり、約40万人の人々が暮らす樺太(=北海道宗谷岬北43㎞の島の北緯50度より南を指す)では8月25日までソ連軍は攻撃を継続し、多くの人々が傷つき、命を失った。

1.緊急疎開(北海道方面への住民避難)
軍は、8月13日から計画的に16万人を2週間で疎開させようと考えていた。その結果、公的手段で76,000人が私的手段(=船を持っている人、お金持ち)で24,000人が脱出した。避難順は、戦災地・老人・児童・幼児・婦女子・障害者・病人を優先し、乗船地は大迫、本斗、真岡だった。

2.樺太での主な戦場
①国境地帯(8月11日~19日)
ほぼ無人地帯での戦闘で、一部を除いて住民は戦火に巻き込まれなかった。
しかし、国境地帯にある八方山の基地と約380㎞離れた豊原の第八十八師団司令部との連絡途絶により、重要な命令が正確に伝わらない戦闘であった。

②恵須取方面(8月16日~18日頃→武装解除は25日)
国民義勇戦闘隊主体の戦闘で、装備は猟銃や先祖伝来の日本刀、自作の竹やりだった。
住民は徒歩で、106㎞先の内路駅に避難しようとしていたが、ソ連軍機の攻撃を受け、多数の死者が出た。

③真岡郊外(8月20日~23日)
真岡市街地で、ソ連軍は艦砲射撃を加えながら上陸し、多くの民間人が犠牲となった。
また、ソ連軍が郵便局に迫ってきた恐怖心から、真岡郵便局の電話交換手の集団服毒自殺があった。

④豊原空襲(8月22日)
停戦協定締結後、豊原駅・駅前広場・駅周辺への空襲あり死者が多数出た。

3.三船殉難事件(8月22日)
ソ連軍潜水艦により緊急疎開船3隻が砲雷撃を受け、1,708名以上の犠牲者がでた。被害は、小笠原丸が増毛沖で沈没、泰東丸が小平沖西方25㎞で沈没、留萌沖北西方33㎞で攻撃を第二新興丸は受け大破したが、留萌港に避難した。

最後に、藤村先生からのお願いで強調されたことが『日本国内で民間人を巻き込んだ地上戦の戦場は沖縄だけではなく、樺太もそうであったことも覚えていて欲しい。インタビューした皆さんとのお約束で、「多くの人にこのことを伝えて欲しい」と言われています。また、特別の事をして欲しいとは思っていません。終戦記念日の日の武道館の全国戦没者追悼式等で、樺太でも亡くなった人がいることを思って心の中で祈ってほしいと思います。』とおっしゃっていました。

【第二部】15:30~16:10
コメンテーターによる分析と質疑応答
◎踊 共二(本学副学長)

第二部では講演内容を異なる視点から分析し、参加者からの質疑応答も交えて議論を深めていきたいと思います。私は今日、副学長というより一研究者として、同じ歴史学のフィールドで働くものとしてコメントを述べさせていただきます。
歴史学には大きく分けるとマクロとミクロ(マイクロ)があって、マクロヒストリーの好例はヨーロッパの「気候史」です。ヨーロッパでは12世紀が温暖期で、14世紀頃から寒冷化が始まり、それは17世紀に頂点を迎えて18世紀まで続きます。温暖期には農業が発展し、商工業も活発になります。逆に寒冷期は不作になり、食料危機が起きて反乱が頻発します。これは人間の歴史が天候によって左右されることを示すマクロヒストリーです。しかしそこでは一般に「個人」の姿が捨象されています。それは個々の人間が登場しない歴史です。
一方マイクロヒストリーは、大きな流れの歴史を捉えつつも一人一人の人間がどんな風に苦しんだり喜んだりしたのか、具体例に焦点を当てます。その材料は個人の手記、手紙、裁判記録、年代記、碑文や墓石、図像や写真などです。一人一人(個人)を大切にし、名もない人たちの言葉や体験を丹念に拾い、個別的事実を可能な限りたくさん再現すること。これがマイクロヒストリーですが、藤村講師はまさにこの手法を用いておられます。だからこんなに分厚い本ができあがったわけです。

【質疑応答】
踊教授:樺太には当時アイヌなどの先住民も住んでいたわけだが、どんな暮らしをしていたのか。朝鮮人の労働者も大勢いたと思うが、彼らの運命についても教えていただきたい。
藤村講師:少数民族の方々は敷香の郊外オタスの杜という特定の地域(集落)を与えられ、その中にはソ連へのスパイとしても活動していた方もいたようだ。記録が少なく、よくわからないが、インディアン居留区をイメージすれば良いと思う。朝鮮人の労働者については1946年12月に始まる引き揚げの対象になっていないが、本国に帰還した人たちもいる。朝鮮戦争後には北朝鮮から2万人が移住しており、朝鮮文化の浸透がみられる。樺太のスーパーには朝鮮料理風のロシア料理がある。
踊教授:領土(南樺太)の返還は無理だと思うが、ロシアとの共存共栄の方法はないのか?
藤村講師:ロシアは指導者個人の考えによって政策が大きく左右されるのと、日本人とロシア人の価値観・国民性の相違から、共存「共栄」は難しいと思う。
参加者:国連が機能していないが、国際紛争をなくすにはどうしたら良いのか?
踊教授:難しい問題だが、対話の場としての国連には一定の役割があると思う。

(報告者:志方正和 24回社会)

 

 

※平成30年12月以前の開催報告は、旧サイトでご確認下さい。